1979年の中越紛争、中国は尊大にもベトナムを「期間限定で懲らしめる」と壮語し、
山が動くほどの人民解放軍を出動させた。
しかしベトナム軍は強かった。中国軍は期間を限定していてよかったと思うほど
手酷く打ち負かされて撤退した。
ちなみに近代に入って中国は一度も戦争に勝ったためしはない。
国際関係論のイロハ「国家間に友好はなく、とくに隣国は最も危険で厄介な存在」という定理がある。
「韓国は日本の指導でやっと工業化できた」(エッカート・ハーバード大教授)
当時さんざん悪口を言う人たちがいましたが、成功した人を貶めようと負け惜しみを言う人間は、
自分がどんなに卑しい顔をしているのか知らないのでしょう。
そして、彼らはもう誰一人として第一線には残っていません。
野心は持っていても、実際に行動に移せなければ結果は何も残らないのです。
現在も思うことなんですが、東京の人って、自分がいまひとつ大成できないのは、
表に出ることが嫌いだからとか、恥ずかしいから目立ちたくないというようなことをよく言いますよね。
でも、そんな言い訳をしているだけで何者にもなれないのは、才能と努力が足りないだけではないでしょうか。
お金ができると肥満が必ずセットでついてくる。
欲望をカタチにするためなら、いざという時に少々かっこ悪くたっていいではありませんか。
せいぜい80年、一度きりの自分の人生なんですから。
有名になったとたんに他人の悪意がセットでついてきたのです。
自分は特別な人間だという自信と、自分は普通の人間だという謙虚さ。
この二つを同時に持っていたい。
自分が本当に何も持っていないところからのスタートだったということには自信がある
シビアに将来の自分の姿を見据えながらも、同時に自分を信じて、幸福な自分の未来を想像して欲しい。
すると、そのためには何かをしなければならないという気持ちが、自然に湧き上がってくるのです。
若い時に、多少の見栄を張ったり、背伸びをするのは、
自分という人間の成長のために欠かせないことではないでしょうか?
バブルの頃は、四畳半生活でエルメスとバーキンなんて身の程を知れと、
よく怒られたものですけど、いまの時代、みんなが身の程を知りすぎてしまい、
社会にエネルギーと活気がなくなってしまった。
一流の人か二流以下の人か、を見分けるポイントの一つに、
「有名人の名前の出しかた」があると思っています。
貧乏って消極的になるから悲しい
お金がないと、どうしても行動範囲が限られてくる。
いろいろなところに出かけて行って、何かを観るために費やしてきたチケット代であるとか、
さまざまな国や地方に行った旅行代金は、人としての魅力や人気を高めてくれるお金であると私は思います。
そうして費やしたお金は何にいちばんわかりやすく反映されるかというと、会話の面白さだと思います。
「貧困は恥にあらず」というのは、すべての人間が口にしながら、誰ひとり心では納得していないことわざである。
運と努力の関係とは面白いものです。自分でちゃんと努力をして、
野心と努力が上手く回ってくると、運という大きな輪がガラガラと回り始めるのです。
せこい人にはせこい人生が待っているのです。