レバレッジメモ

2013年9月のとある週末、ネブラスカ州ピアーズで自動車オークションが開催された。
63年製インパラは走行距離11.4マイル。3254ドルという当時の車両価格がそのまま窓に貼り付けられていたが、
9万7500ドル(約956万円)で落札されていった。

 

 

9.11テロほど筋が通らない話も珍しい。
早い話、あのテロ捜査で最初に浮かんだのはイラクでもサダム・フセインでもなくサウジアラビアだった。
テロ実行犯19人のうち15人までがサウジ出身だし、やがて判明した首魁ビンラーディン氏も
またサウジ出身だった。彼らの資金源をたどれば駐米サウジ大使夫人が浮かぶ。
怪しいのはみんなサウジと思った。

 

 

サウジアラビアは一握りの王族が統治し国会もない。
彼ら王族はつい最近も400台のベンツを連ねてスペインで遊んだように甘い生活を送る。
遊興費の元は石油代金で、彼らはそれを投機にも回している。いずれもコーランに背く行為だ。

 

 

スターリンは日本だけに「自国の歴史を暗黒化させる」指令を出し
「これが徹底した自虐史観を醸成するもとに」なった。
なぜなら「(有色人種に白人国家がはじめて負けた)日露戦争の敗北がよほど悔しかった」からた。

 

 

英国人はさまざまな手口でビルマ人のアイデンティティーを奪った。
19世紀末には国王以下の王族をインドの果てに島流しにして、国民の求心力を奪った。
国王の娘、美貌のファヤ王女の消息をほぼ一世紀ぶりにヒンドスタン・タイムズ紙が報じた。
王女は英植民地軍兵士の愛人にされて貧困の中で死に、その娘、つまり国王の孫娘ツツは
「最貧困層に身を落とし、造花を売って生計を立てている」という。
おとなしいビルマ人がこの王家の悲劇を語るとき、本当に怒りで唇を震わせる。

国父アウンサンの暗殺後、英国に渡ったきりの一人娘スー・チーが30年も経って
英国人の妻になって戻ってきたときビルマ人は正直、戸惑った。彼女は英国人になりきっていたからだ。
政治集会やデモの場合、どこの国もそうだが、ここも届け出制にしている。
しかし、彼女は故意にそれを無視する。
政府がたまりかねて規制すると「民主主義を弾圧した」と騒ぎ立てる。
彼女は骨の髄まで嫌味な英国人なのである。

 

 

スー・チー問題を口実に欧米がミャンマーに経済制裁を科し、日本が右にならえをしていたころである。
この国の経済はそれでほぼ破綻しようとしていた。その窮状に援助の手を差し伸べたのが他ならない中国だった。
英国人スー・チーに屈するのか、嫌いな中国の援助を受けるのか、究極の選択を強いられたビルマ人は結局、中国を選んだ。

 

 

中国の経済植民地化にもがくミャンマー。

 

 

マカオやシンガポールのカジノでは、ローリングバックというシステムがあり、
勝っても負けても張った金額の1%がキャッシュバックされる。
私の場合、張った金額の合計となると、兆の単位になっていました。
なので、時にはカジノからプライベートジェットをだしてもらうこともあった。元王子製紙会長

 

 

月曜午前中の仕事ぶりを見れば、その人の能力が分かります。

 

 

最も頭の冴えている時間帯に、いわゆる作業的な仕事に取り組まないことが効果的です。

 

 

経営者は、いい店をつくるのが仕事ではない。会社の経営をするのが一番大事な仕事。
いい店をつくれなくても、お金の流れなどを把握できていれば、会社が倒産することはない。

 

週刊誌とか特に酷いから、そこから情報を得てる情弱の人とかかなり偏見があるもんね。

 

 

ベトナム、カンボジア、中国に限らず、マレーシア、インドネシアでも
ビジネスは女性の方が得意で、メダンでは街のほとんどが女経営者。

 

 

ひとつの熟考よりも三つの即決

 

 

悩むとは、物事を複雑にしていく行為だ。

 

 

決断できなければ、いつまでもこの場にとまり、「このまま」の人生を送るしかない。

 

 

世の中で常識とされるものの大半が、合理性を欠いたものであることに気がつく。

 

 

常識を疑い、自分の頭で物事を考えていくためには、ひとつ乗り越えておかなければならない条件がある。
自立だ。特に、親元を離れることである。

 

 

精神的に親から自立して、物理的、そして経済的にも自立すること。
この一歩を踏み出したとき、人はようやく「自分の頭」で物事を考えられるようになる。

 

 

たとえば、あなたが転職するときや引越を考えるとき、「きっとお父さんは反対するだろうな」
とか「お母さんは心配するかもな」といった思いがよぎるとしたら、それはまだ「子ども」の意識が抜けず、
自立しきっていない証拠だ。自立した大人の関係が築けていれば、そんな心配はしないはずだ。

 

 

もし「親孝行」という言葉が存在するのなら、それは、一人前の大人として自立することだ。
ここは年齢や性別に関係なく、自問して欲しい。あなたはほんとうの意味で親元を離れたと言えるだろうか?
なにかを決めるとき、親の顔がチラついていないだろうか?いざとなったら、親に助けてもらえると思っていないだろうか?

 

 

親から自立できていない人は「自分の頭で考える」という習慣づけができていない。
自分ではなにもやろうとせず、ただ会社の不平不満をこぼすような人たちだ。

 

人生って、自分の時間をどんな仕事、どんな友達、どんな恋人に割り振るかを
適宜決めていく時間のポートフォリオ・マネジメントなんですよ。

 

 

物事はシンプルに考えた方がいいことが多々あります。