1,17  29歳の冬

最初は飛行機が住んでるマンションに墜落したのかと思った。
 
「今週、風呂入ったか?」の問いに即答出来なかった。
 
直後につながった電話が地震の30分後から丸2日間くらい西宮に住む両親とつながらず、
 
テレビのニュースを見ながら「ひょっとして・・・」と不安になった。
 
夜、仕事が終わって自宅マンションに戻ると全世帯で電気がついている部屋がひとつだけだった。
 
ガスが復旧したのは3月。
 
倒壊した家屋を避けながら歩いた職場近くの街(神戸市東灘区本山南町 町内だけで100名以上の方が亡くなった)
 
その2年後に会社を辞めた。
 
震災の体験が決断を後押ししたこともまた間違いない。
 
被災したすべての人にいろんな感情がよみがえる1,17。
 
何年経っても決して忘れることはない。
 
 
 
 
 

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